これまでに3回も廃案になった共謀罪が「テロ対策」と名前を変えて復活する――。今回、テーマを選ぶのに迷いはなかった。ゲストも、大阪弁護士会で最もこの問題に詳しい永嶋靖久弁護士にお願いした。
これまでの国会審議で、共謀罪は「市民団体や労働組合も摘発の対象となる可能性がある」「共謀罪が成立する対象が600を超え、処罰の網が広くかかりすぎる」などの批判を受けた。さらに表現の自由が侵害され、監視社会を招く恐れもあるとの不安が廃案への原動力となった。
今回の共謀罪法案もこれまでと本質的には変わらない。
2020年の東京五輪・パラリンピックを前に、安倍政権はテロ対策の一環と位置付けようとしているが、名前を変えたところで共謀罪は共謀罪。その本質は「心の中で思ったことが処罰される恐れがある」ということ。
この法案が通ればどう変わるのか。
永嶋弁護士は「電力会社の前で『反原発』を訴えるビラをまく相談をしただけで『組織的業務妨害罪』に問われかねない」と指摘。さらに、秋から改憲反対運動の盛り上がりが予想され、「5月に成立した『刑事訴訟法等の一部改正法』で、盗聴が拡大し、司法取引も認められた。10年前と比べて危険度は飛躍的に高まっている」と警鐘を鳴らす。
「新入生に一気飲みさせる相談をすると、『組織的犯罪処罰法』『組織的強要』になり、PTAなどで悪徳企業の商品を買うのをやめる相談をすると、『組織的犯罪処罰法』『組織的業務妨害』の共謀罪に問われます。また、高価な相続品を税務署に申告しない相談をすると、『相続税法』『相続税等の免税』の共謀罪になりかねません」
特に、労働組合や市民団体が狙われるという。
「要求に応じるまで社長を缶詰めにして交渉する相談をしても『組織的犯罪処罰法』『組織的監禁』、組合事務所のコピー機を私用で使う相談をしても『刑法』『業務上横領』の共謀罪です」
私たち「自由なラジオ」も例外ではない。
「政治家の不祥事を放送でやろうと相談をしたら、『組織的犯罪処罰法』『組織的信用毀損』の共謀罪に問われる可能性が出てきます」
さらに、こうも言い添えた。
「誰に何をしゃべっていいのか、わからなくなる。人と人との間がぎくしゃくする。しかも、自首すると、自分だけは免除になるのだから、自由に議論することが犯罪とされる社会に変わる可能性も出てきます」
2000年に国境を超えた組織犯罪に対処するため国連総会で「国際組織犯罪防止条約」が採択された。日本は今も締結しておらず、政府は「締結するには共謀罪の整備が必要だ」と訴えている。 それについても、永嶋弁護士は明快に否定する。
「もともとはマフィア対策として出てきたのが、テロ対策に変わるなど、本来の目的と違っている。日本の刑法の大原則を覆すほどのことまでして共謀罪がいるのか。テロ対策というのなら、すでに『爆発物取締役罰則』があり、殺人や強盗、放火、誘拐についても予備の段階で処罰されるなど、現在の法律で十分事足りるのです。この上、700近い共謀罪を新設する必要はまったくありません」
政府の狙いは別にある。私たちは騙されてはいけない。まずは知ること。知ったら声を上げることだ。諦めてはいけない。

「共謀罪」について話す永嶋弁護士(2016年、矢野撮影)」


民間の空襲被災者の補償を訴え
杉山千佐子さん逝く

民間の空襲被災者への補償を求める運動の先頭に立ってきた杉山千佐子さんが9月18日、101歳の誕生日に老衰のため名古屋市内の高齢者施設で亡くなった。
杉山さんは1945年3月25日の名古屋大空襲で左目と鼻の上部を失った。当時29歳。家と仕事も失った杉山さんは戦後、生きるために職を転々とした。「実入りがいいから」と化粧品のセールスをしたこともある。
「蔑んだ眼差しで断られたり、子どもを呼んで『言うことを聞かないと、おばちゃんみたいな顔になるよ』と言われたりもしました」
大学の寮母として落ち着いた暮らしを取り戻したのは50歳の時。敗戦から20年が過ぎていた。
戦後、この国は旧軍人・軍属、その遺族には年間1兆円もの恩給や年金を支給している。補償の対象は、「未帰還者」や「引揚者」にも広がり、その後、広島・長崎の原爆被爆者、中国残留孤児、シベリア抑留者に対する援護立法も制定された。が、その一方で民間の空襲被災者には何ら補償していない。
「戦争という国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民は等しく耐えなければならない」という「戦争損害受忍論」を主張しているためだ。
杉山さんは、戦時中は民間人も援護の対象になっていたことを知り、72年に全国戦災傷害者連絡会」(全傷連)を立ち上げ、泣き寝入りしていた空襲被災者の被害を掘り起こしていく。
翌73年には、民間の空襲被災者の救済を盛り込んだ「戦時災害援護法」案が国会に上程された。当時、戦後補償の責任者である厚生大臣と面会し、「国との雇用関係がないから補償しない」と言われた杉山さんは「国が始めた戦争なのに、国民は耐え忍べと言うのですか。傷つけられた身体を元に戻してください。もし、あなたの娘さんがこんな姿になったときもそうおっしゃいますか」とかみついたこともある。
戦時災害援護法案は89年までに14回上程されたが、いずれも廃案になった。
私が杉山さんと初めてお会いしたのは2007年11月。名古屋市千種区のバス停を降りると、小柄な杉山さんが杖を持って待っていてくれた。左目には大きな白い眼帯、ピンクの帽子に真っ赤なコートを着ていた。
90歳を超えてもなぜ、声を上げ続けるのか尋ねると、答えは明快だった。
「子や孫の世代が戦争に脅かされないためにも、戦時災害援護法がないと『国民はいつも踏みつぶしていい』という政府の考えを通すことになってしまう。戦争で傷ついた人間が存在したという証しと、その痛みをわかってほしい。それに、死んでいった仲間たちの無念、私自身の人生を奪われた無念を思うと、やめるわけにはいかんのだわ」
2010年8月、東京、大阪の空襲訴訟原告団が結成した「全国空襲被害者連絡協議会」(全国空襲蓮)の顧問となり、車いす姿で支援を訴えてきた。
今年6月には愛知弁護士会主催のシンポジウムに出席。「国は耳を持っていない。援護法を訴えても知らん顔。いつになったら戦争は終わるのでしょうか」と訴えた。それが公の場での最後の姿となった。
援護法の実現を見ぬまま亡くなった杉山さん。その遺志を受け継ぎ、何としても援護法を成立させたい。(新聞うずみ火 矢野宏)

「名古屋で開かれた全国戦災傷害者連絡会の集会であいさつする杉山さん(2008年、矢野撮影)」