スタジオゲスト:小出 裕章 氏(元京都大学原子炉実験所)
聞き手:木内みどり

木内みどり:
はい、それではここからはLight Up!ジャーナル です。小出裕章さんです。こんにちは。

小出裕章:
こんにちは。

木内みどり:
どうもありがとうございます。

小出裕章:
はい、こちらこそ。

木内みどり:
自由なラジオが始まってから1年ちょっとが経ったんですけれども、何回も何回も電話でお話を伺っておりますが、こうやって小出裕章さん本人が自由なラジオ隅田川スタジオにお越しになる!これはちょっと事件なんですけれども。
ここについてから川に面した見晴らしのいいベランダとオフィスのような空間をここスタジオと呼んでいますけれども、まず印象を。

小出裕章:
私は上野・浅草で生まれまして、隅田川というのは私の生まれ育った川でもあるし、それを下流に行くと勝鬨橋があるわけで懐かしいなあと思いましたし、ただ私が子供の頃はこんな高層マンションはもちろんなかった。今日ここに伺って、こういうマンションがいわゆる江戸の下町にできたんだなあとちょっと違和感っていうのは変だけれども、このスタジオ自身は綺麗な空間だし、こういう所でやって下さっているんだなと、ありがたい思いを半分で感じながら今ここに座っています。

木内みどり:
少年時代の隅田川ぺりをきっと半ズボンでランニングで下駄を履いた小出少年が走り回って遊んでいた?

小出裕章:
そんなこともありました。上野の山を走ったり、不忍池で遊んだり、隅田川で遊んだり、、

木内みどり:
まだ舗装されていない道が多かったですよねえ。

小出裕章:
もちろんそうです。

木内みどり:
私もその頃、下駄を履いて遊んでいた世代なので、そういう意味でいうと本当に何十年か経ってここにきて高層ビルを見上げるといった気持ちはちょっとわかるような気がしました。
それでは小出さんにお尋ねいたします。もう随分経ったような、あっという間だったような気がするんですが、京都大学原子炉実験所を退官されたのは2015年の3月なので2年ちょっと経ったわけですよね?2年前の4月1日から松本市民になられて、それでも小出さんの講演を依頼する方が引きもきらないのでずっと講演されて、まあ日本国中をあちこち、、もう行ったことのない県はないでしょう?

小出裕章:
はい、1都1道2府43県全て行きました。

木内みどり:
どのぐらいの割合で行っているというか、頻度はどのぐらいですか?

小出裕章:
まず私自身は、半年以上先は生きているかどうか分からないので、、

木内みどり:
またすぐそういうことを言うんだから。

小出裕章:
一切お約束はしないということにしているのです。10件に一件とは言わないけれども5件に一件くらいしかお受けできないのです。昨日私は自由なラジオのイベントがあったんですけれども、それは私がたまたま鎌倉での講演会がある日に、その夜に自由なラジオもイベントがあるというお誘いをいただいたわけです。

木内みどり:
無理やり私がお誘いしました。

小出裕章:
はい、みどりさんからお誘いいだいたので断れないなと思ったわけですけれども、言ってみれば私自身はもともと種まきジャーナルというものに呼んでいただいていて、その種まきジャーナルが潰されてしまった。

木内みどり:
毎日放送ですね。

小出裕章:
はい。そして種まきジャーナルを潰さないでくれという運動をして下さった方々が、ラジオフォーラムという番組を立ち上げて下さった。そしてそのラジオフォーラムが今自由なラジオということに変わっているわけで、私自身は当初から、種まきジャーナルが潰される頃からある意味責任のある立場にあった人間ですので、ラジオフォーラムも自由なラジオもそれなりの責任を負わなければいけないと思っていたので、昨日の鎌倉の講演会の後、ちょっと時間的に無理もあったのですけれども、これはお引き受けしなければいけないと思ってお引き受けしたわけです。普通は半年先、半年先と、お引き受けするお約束を決める、そしてお断りするものも決めるわけですけれども、そうやってお断りするようなことをやりながら日程を決めているわけで、その日程を決めた以降は新たなお誘いは一切受けないということにしていたのですけれども、昨日の自由なラジオは少し私にとっては原則破りでお受けしたとそんなことになりました。

木内みどり:
直前になってね、取材者の方に懇親会とかを色々用意していったのに、そこをちょっと短縮していただいてという、本当に鎌倉の皆様申し訳ありませんでした。

小出裕章:
でもまあ、私が責任があることというのは、もちろん自由なラジオもそうですし、もっと広い意味で言えば福島の事故だって私に責任があるわけですし、原子力そのものにも私に責任があるわけですからできる限りはやはりお引き受けしなければいけないんだろうなと思いながら、日程を見ながら、お引き受けできるものはなるべくお引き受けしようと思ってはきましたし、今でも思ってはいます。

木内みどり:
私は、小出裕章マニアとしてですね、小出さんがなさった講演の様子がYou Tubeなんかに上がるとほとんど全部見ているんですけれども。

小出裕章:
恐ろしい(笑)

木内みどり:
私は中卒で、高校も出ていなくて大学行っていないし、そういう知識欲がすごいあるのに行っていなかったので、学習魔なんですね。小出さんの話には必ず新しい歴史上の事実とか新しい地理上の感覚とかそういうことが出てくるので、いつも私メモっているんですよ。だからちょっとやでしょ、そういう人がいるっていうのも(笑)。でももちろん本当のことしか仰らないから矛盾はないんですけど、でもいつか小出さんは自分の言語感覚の中で「ポンチ絵」のようなものでとおっしゃって、わかります?リスナーさん。「ポンチ」はカタカナですよ、そして絵は絵画の絵なんですけれども、「ポンチ絵」。私はまあ小出先生と同世代なんでわかりますけれども、40代ぐらいの人はもう分かんなんじゃないでしょうかねえ。

小出裕章:
そうなんですかねえ。私もう一つある人から言われたのは、核のゴミを何年お守りすればいいのかという話で、今比較的汚染の低い核のゴミは青森県の六ヶ所村に埋め捨てにしていて、それを300年はお守りをすると原子力を推進する人たちが言っているんですけれども、300年なんていう時間の先を想像できるかというようなことを、まあ自分にはできないと思うし、会場の人に考えてほしくてよくそういう話をするんですが、その時に300年先はわからないけれども、前は分かると。300年前は忠臣蔵の討ち入りの時代ですから、そうやって私は例えを言っていたんですけれども、そしたら忠臣蔵なんて今の若い人は誰もわからないよと言われて、ああそうなんだなあと、自分の頭の中が古臭く固まってしまっているんだなと思いました。

木内みどり:
むしろ、日本人にとって忠臣蔵とは大変重要なもので、あれほど落語にもなり映画にもなり芝居にも歌舞伎にもなり文楽にもなりって、本当に日本人の好きな要素が全部入っている素晴らしいものなのにこの頃扱われないから、そして今の私たちは西洋のこととか外国人歌手とか、日本人のお笑いの人の私生活までよくよく報道しているからよくよく知っているだけど、本当にちょっと前の日本の大切な出来事すら理解していないという、どうでしょうか先生。先生って言っちゃった、もうみんなが小出さんのことを先生、先生っていうからもう小出さんもそれはしょうがないですね、とっくに諦めてるでしょ、みんなから先生って呼ばれたりするのは。

小出裕章:
何度も皆さんに私嫌いですからやめてくださいとお願いするんですけれどもなかなかやめてくださらないので、ああまただなと。一番私が参ったなあと思ったのは、今西さんたちが松本市長の菅谷さんの収録に来てくださったことがあったのですけど、その時に菅谷さんと私とで二人で話をする時もありましたし、その収録の時にも彼とは話をしました。菅谷さんは私より確か7歳は年上だと思いますし、彼は信州大学の医学部の助教授だった方で、私は京都大学の助手、まあ最後は助教という名前になりましたけども最下層の教員でずっと過ごして来た人間であって、どっちかというと私が菅谷さんを先生と呼ばなければいけない立場、社会的には多分そうなんです。でも私は自分も先生と呼ばれたくないし、誰をも先生とは呼ばないと決めていますので菅谷さんに関しても菅谷さんと呼ぶんですけれども、菅谷さんが私に対して小出先生と呼ぶんですよ。いや、いつも言うんですよ。(笑)酒を飲んでいる時も先生とか言うしねえ、参ったなあと思って。はあ。

木内みどり:
ため息が出てる(笑)私ですら昨日あれだけの人が先生、先生(と言っていて)つい出ちゃいましたもん。もうそれは諦めていただいて、先生、先に参ります。だいたい今日はこれくらいかなと思うんですが、本当にこの国は恐ろしい国であれだけの事故が起きて何も変わっていないのに再稼働という話になり、みんなが本当に死ぬ気で反対したのに川内原発が動いてしまいそのあと高浜が再稼働されてしまって、一体どうしたら止められるのかということは小出先生にもお答えになれないんじゃないかっていうぐらい複雑というかめちゃくちゃな国になって来ましたよね。

小出裕章:
そうですね。どうやったら止められるのかもしご存知の方がいらっしゃったら私に教えてください。

木内みどり:
では今日はこのぐらいで。本当はこのまま1時間ぐらい喋っていたいんですけどね。また、このスタジオにお越しください。そしてまた電話でのインタビューにもぜひ続けて出てください。今日はお越しくださってありがとうございました。

小出裕章:
こちらこそありがとうございました。