木内みどり:
元京都大学原子炉実験所の小出裕章さんとお電話が繋がっています。小出さん!

小出裕章さん:
はい。

木内:
こんにちは!

小出さん:
はい、こんにちは。お久しぶりでした。

木内:
はい、お久しぶりです。
お元気でしょうか?

小出さん:
はい、何とかかんとか生きています。

木内:
3月11日がもうすぐ巡ってまいります。
2011年3月11日に事が始まりました。
あれから丸6年が経って、7年目に突入することになりました。
あの日、小出さんはどこにおいででしたか?

小出さん:
京都大学原子炉実験所の放射線管理区域の中で仕事をしておりました。

木内:
という事は、テレビやラジオの情報からは離れてましたよね?

小出さん:
そうです。全く知らないまま過ごしていました。

木内:
何時ぐらいまで?

小出さん:
夕方にどうしても出なければいけない会議があって、
管理区域から出て、会議を開く場所に行ったのですが、そこでテレビを初めて見ました。
仙台空港に津波が押し寄せてきて飛行機が流されていくという、
そんな映像をその時に見ました。
まずは不安を感じました。
原子力発電所どうなったんだろうか、まずは津波より前に大きな地震があったわけですし、
どうなったんだろうか心配だと、その時に思いました。
ただ、その日は実は私、ウクライナからお客さんがちょうど関西空港に着いた日でして、
夕方からそのお客さんと一緒に食事をとりに出るという約束になっていて、
翌日、12日の朝になってから発電所で停電になったという事を聞きまして、
これは大変なことだと。
おそらくこのまま続けば炉心が溶けて巨大な事故になるだろう
ということをその朝に気がつきました。

木内:
わぉー。そこから、いろんな専門家同士のやり取りが始まったわけですか?
例えば、今中さんととんでもない事が起きそうだとか、起きつつあるとかっていうことが。

小出さん:
はい。
今中さんもそのウクライナのお客さんと一緒に、その前の11日の夜から一緒にいたので。

木内:
そのお客様って方は原子力関係の方なんですか?

小出さん:
はい。その時は、ちょうどチェルノブイリの原子力発電所から25年だということで、
原子炉実験所の私達のグループがチェルノブイリ事故25周年ということで、
セミナーを開こうとしていたのです。
その為にウクライナから専門家を呼んでやろうとしていた日だったのです。はい。
3月18日にセミナーをやろうとしていて、11日からそのお客さんに来てもらっていたのです。
今中さんと私は11日からそのお客さんとつき合っていましたし、
12日になって事故が大変な様相になってきたということが分かってからは、
原子炉実験所内の私の仲間、いわゆる6人組と呼ばれていた仲間と頻繁に情報を交換しながら、
どんな事故になってるということを予測しました。

木内:
その時点で、原子力の専門家の中で反対する人達じゃなくて推進の方達も、
小出さん達の熊取6人組の存在は知っていたわけですから、その一番早いコンタクトはいつ頃あったんですか?
政府とか東電とか。

小出さん:
専門家はいわゆる原子力の世界の専門家というのは、ほとんど全員が原子力を推進しようとしている人達であって、
私達にコンタクトをしてくるというような事はむしろありませんでした。

木内:
なかった。

小出さん:
私達は、その時点から発信を始めたのです。
大変な事故になっているし危ないので、もし逃げられる人は逃げて下さいというような発信を始めたのですが、
そういう発信そのものを抑えこもうというように、彼らは動いてきました。

木内:
ええっー!

小出さん:
例えば、京都大学原子炉実験所では、いわゆる箝口令というんでしょうか。
個人的にマスコミに発言をしてはいけないというような事が所内でしきりに流れてきました。

木内:
ええっー!そうなんですか。
 
小出さん:
はい。

木内:
余計なことを言うなっていう事ですか?

小出さん:
そうです。実験所としては窓口を作って実験所として発信するので、
一人一人は黙っていろという、そういう命令というか指示がきました。

木内:
ええっー!それは、小出さんが皆さんに発信したい内容と京都大学が発信したい内容とは少しはズレてたんですか?

小出さん:
全くズレていたのです。

木内:
全くズレてたんですか?

小出さん:
はい。
私は12日の段階から、炉心がメルトダウンしているということを確信していましたので、
原子炉がメルトダウンして大量の放射性物質が噴き出してくるという発信を
12日の夕方から私は始めたのですけれども、翌日、所長から呼び出されて
「余計なことは喋るな」という、そのような指示を受けました。

木内:
ええっー!でも、例えばその段階にからですね、
12日の夕方から、小出さんのお考えとか予測とかがNHKなりで
日本全国に流れていれば防げたことは沢山ありますよねえ。

小出さん:
もちろん沢山あったと思いますけれども、
私のような発言を、いわゆるマスメディアはほとんど取り上げてくれないまま
時が流れていきました。

木内:
初めて大手新聞から小出さんにコンタクトがあったのはいつですか?

小出さん:
新聞はいつだったろう?
一番早く私にコンタクトをしてくれたのは、
大阪のローカルな毎日放送というラジオ局でして、たね蒔きジャーナルという番組でした。
その番組が14日から私を連日そのラジオに呼んでくれまして、私はその番組で情報を発信し続けました。

木内:
これは、もう伝説になっている小出裕章さんの3月14日からの放送というのはアーカイブにも残っているし、
これを聞いて、小出さんの声にやっとたどり着いて、それからずーっと小出さんの声を聴き続けてっていう人が物凄い数いて、
多分それは原子力村の人でも大手新聞・テレビ・新聞・ラジオの人でもそうだったと思うんですね。
一番の頼りになる情報ということで。
但し、国が持っていこうとしている方向と真逆だから無視しよう無視しようという力が働いてしまったわけですよね?

小出さん:
もちろんそうです。
実験所内部でも、小出が余計な発信をしているという風な意見がたぶん多かったと思いますし、
結局、そのたね蒔きジャーナルという番組自身も1年ちょっとした段階で、
丸ごと潰されてしまうという事になってしまいました。

木内:
私ね、小出さんのことをたね蒔きジャーナルの4月の頭ぐらいからずっと聴きはじめて、
小出裕章オタクになったわけなんですけれども。

小出さん:
ありがとうございます。

木内:
一番ね驚いたのは……一番驚いて私、画面を見てたんですけども、
立ち上がって、そして泣き崩れた記憶があるんですが、
それは、明治大学で小出さんが講演なさって。事故直後ですよね。

小出さん:
はい。

木内:
それで、その明治大学の大ホールにお客さんというか学生さんが入りきらなくて。
それで急遽、その入りきらない学生に向かって、「一言、小出さんメッセージして下さい」と言われて、
小出さんが沢山の学生さん達の前に「皆さんしゃがんで下さい」と学校の方が言って、小出さんがそこでお話なさったこと。
そして、ほんとに「防げなかったことを皆さんにお詫びします」と言って、「ごめんなさい」って頭を下げられたんですよ。
私はほんとに驚いたのと、もう「えっ!」って立ち上がって、もう棒のように立ち上がって、
それからね、「こんな人がいる!」と思ってね、ほんとにね泣き崩れたんですね。
その後、小出さんはいくつかの講演に呼ばれて行って、多くの市民ホールとか県民ホールとかそういう公の大きいホールで、
駆けつけたのも本当に何千人という聴衆にも、何度も何度も心から「ごめんなさい」と謝ってらっしゃいました。
あれは、ごくごく普通に計らず自然に出てきた言葉なんですか?

小出さん:
もちろんです。私自身は長い間、原子力という場で働いてきた人間で、
何とか暴走を止めたいと思いましたけれども、あまりにも非力で止められなかったのです。
その為に多くの人達、若い人達も含めて被害を加えようとしてきていたわけですから、
私自身は本当に申し訳ないと思いましたし、今でもそう思っています。

木内:
ただ、変な言い方ですけどね、いい大人がみんなの前に子供じゃあるまいし、
「ごめんなさい」って謝るっていう姿をほとんど見たことがなかったんですよね。
小出さんはごくごく自然に「ごめんなさい」と頭を下げられましたけれども、
本当に「ごめんなさい」と「ありがとう」が言える人間がちゃんと大人でいれば、
こんな世の中にはならなかったなあっていう風に思うんですけど。

小出さん:
はい。人間って何をすべきかっていろいろあると思いますけど。
ある時に私の知人が集会に行った時に、その主催者として挨拶をされたんですけれども、
その時に「自分は子ども達を育てる時に嘘をついてはいけない、そして、間違えた時には謝りなさいと教えています」
という風に挨拶をされました。
私はその事を本当に大切なことなんだなと思いましたし、嘘はつかないでいたいと思いますし、
もし間違えた時にはやはり謝るということが基本的なことなのだと思いましたし、今でも思っています。

木内:
素晴らしい。これを永久保存したいと思います。この言葉を。
ほんとに「ごめんなさい」を言えない。
そんな事を思いもしない人が私達の国の総理大臣なのでほんとに。
メチャクチャですよね。
嘘はついた方が勝ちっていう日本になってしまったって、なり下がってしまったと思うんですけれども。

小出さん:
ほんとに情けない人だと私は思いますし、
福島の事故に関しても、オリンピックを呼んでくるためにアンダーコントロールというような事を言ってきた人なんですね。
ほんとに困った人だと思います。

木内:
その講演会場に小出さんのお話を聴きに来る方もね、
罹災してというか福島を出てとか、その後の人生がもうほんとに辛いものになってる方達がいっぱいいて、
きっとその中で小出さんの発言が、もう美しい美味しい酸素のように聴こえるだと思うんですけども。
そういう人の苦労や悩みやなんかを引き受けがちにならないですか?
大丈夫ですか?

小出さん:
私に出来る事なんていうのはほんとにわずかな事であって、
今、みどりさんがおっしゃって下さったように、沢山の人達が抱えることができない程の苦労というのを
今抱え込んで、苦難の中で生きているのですね。
それに、私自身も原子力の場にいた人間として責任があるわけですから、
出来ることは、やはり私は引き受けなければいけないと思っていますし、
あと何年生きるのか知りませんけれども、
私に出来ること、私がやらなければならない事はやはりやりたいと思います。

木内:
ありがとうございます。心強いお言葉でした。
7年目に入るというこの悔しさをバネに、また一年頑張っていきたいという風に思いました。
小出さん、じゃあ今日はありがとうございました。

小出さん:
いいえ、こちらこそありがとうございました。

木内:
お元気でいらして下さい。