木内みどり:
今日のLight Up!ジャーナルは作家の落合恵子さんです。

落合恵子さん:
はい、もしもし。

木内:
もしもし、落合恵子さん。

落合さん:
はい。 

木内:
はい、こんにちは。

落合さん:
こんにちは。

木内:
お忙しいところありがとうございます。嬉しいです。

落合さん:
いいえ。

木内:
今日はね、落合恵子さんはどういう風に世の中の情報をとってらっしゃるのか
という事をお伺いしたいと思いました。
この間、澤地さんの書斎に伺った時に、澤地さんね、
「新聞は何誌読んでらっしゃるんですか?」って言ったら3誌。
しかも、午前中ほとんどその3誌を丁寧に読まれるそうです。
「なんかいろんな記事が気になったりすると気分が落ち込んで、1日中新聞を読んでることもあるわ」
ってことおっしゃってたんですけど、落合さんは新聞は何新聞まで。

落合さん:
家でとっているのは2誌です。2つの新聞で。
あと、午後に、言うと大体分かりますが、日刊紙は必ず出かけてる先で買う物があります。
ですから、一応、見ているのは3誌ですね。
どうしても、この記事は他の新聞はどう書いてるかなって気になるような大きなテーマがある時は、
他のも買ったりしますが。コンビニとか駅の売店で。
例えば、ある新聞がとっても一面で大きく扱っているテーマが案外小さかったりとかね、
そういった事を見ることによって、その新聞の持ってるある個性というかキャラクターみたいなものも分かるし、
そういう比べて読むっていうのかな。面白いですね。
ただ、朝ゆっくり新聞読めない時はしょうがない、その新聞持ったまま外に出て行くという感じです。

木内:
でも、昔は電車に乗ったら、大抵の人が新聞を細長く畳んで読んでたものですけど、
この頃、新聞読んでる人少ないですよねえ。

落合さん:
少ないですね。

木内:
みんな携帯。

落合さん:
若い方は、人によってでしょうが、まず、新聞とってない人が多かったりするっていうのが一つですし、
いろんな情報に接する機会っていうのが一つだけじゃないから、いろいろあっていいと思うんですね。
ただ新聞一つとってみても、新聞は公平であるとかね。
何とかは何とかであるみたいな決めつけで読んでしまうと、必ずしもそうではないって。
一つの事件が起きても、或いは何か事柄が起きたとしても、
それをニュースにするかしないかで、もう選別が行われてるわけですよねえ。
そういう風に考えた時に、いくつかやっぱり並行して読んでいった方がいいだろうなあって。
それでもまだ分かんなかった時、玉石混淆の部分もありますがネットを調べてみるとか、
とにかく一色になるのが怖いっていう気がするんですね。かつてのこの国のように。
それから、私は新聞で最近ようやく少し変わってきたかなあって思うことの一つに、
以前はずーっと公平である為に両論併記ってあったじゃない?

木内:
はい。

落合さん:
一つのことの賛成か反対かを、それの代表的な人の識者の人が出てきて賛成派と反対派。
同じ文字数、同じ行数でやることが公平であるという両方の意見を出して、
それが始まった初めの頃の大欺殺、分からなくはないけれど、
両論併記で同じ文字数でって言っても、どっちが社会の主流であるか、
どちらが権力的であるかって考えた時、同じ文字数で書いたから、それが公平ですにはならないよね。

木内:
そうですね。

落合さん:
どちらが社会的に小さな声なのかを考えなきゃいけないし、
社会的に小さな声を取り上げる時は、むしろそっちらにこそ沢山の文字を割かなければいけないという気はしますよねえ。

木内:
それともう一つね、日本の新聞は書いた人の名前を書かないじゃないですか。

落合さん:
そうです。署名じゃないんですよね。
やっぱり署名があることによって、もちろんプライバシーの問題とかいろいろあるかもしれないけれど、
責任を持つことの大切さがあるし、それから人間ってミスが必ずありますから。

木内:
ほんとですよねえ。

落合さん:
ねえ。その時、もし間違ってしまったら。
間違わない方がいいけど、間違ってしまったとしたら、ほんの小さな片隅ではなく、
ちゃんと、それは自分達のこれから何かを変えていく為にも謝罪をするっていう事も大事なことですよねえ。

木内:
アメリカの新聞だとコレクションっていうコーナーがあって、必ず、いついつの記事はこう違ってましたっていう。
書いてしまった記事と訂正と載せますよねえ。

落合さん:
あった方がいいし、それから、例えば何か大きな事件が起きて、
それを報道するっていうのは、それも当然のことだとは思うんだけど、その後についてですよね。
フォローの記事っていうのが少な過ぎるような気がするのね。
それは、受け手である私達にもそうなのかもしれないけど、本当はその後を見ていかないと、
数日前とか数週間前とか数か月前とか起きた事件のある部分しか見てないことになるんですが、
なかなかそのフォローの記事が、これどこの新聞だっけなあ。
地方紙だったんだけれども、何年前のこれこれこういう事件がありました。
その時、こういう報道をしました。
その報道について、その後、このような影響がありましたって。
もう無くなっちゃったけど、頑張ってた新聞あるんですよね。
そういうフォローをすることも、読者にとっては勿論のこと、
書き手にとっても大事なことだっていう気はするけれどねえ。

あともう一つね、やっぱり日本の新聞で気になるのは、もうそういう系列が出来上がっていますが、
一つの新聞と一つのテレビ局が大体同系列ですよね。系列化してますよねえ。
こういうケースってまれなわけじゃないですか。
そうすると、一つの新聞の主張はテレビでも大体同じ主張の形で出てくる場合が多いわけで、
系列が同じっていうことによって生まれる分かりやすい場合の弊害と、
分かりにくくて無意識に受け手は受け止めてしまう弊害っていうのもあると思うんですね。
もうちょっと別々のインディペンデントなものがあってもいいかなあって。
私、昔、自分で放送局をつくりたいと思ったことがあるんですね。
それから、自分で新聞社もつくりたいって。
全部、実現しない見果ての夢で終わってしまっていますが。

木内:
だって、洋服のブランドだって作れたぐらいですから、やりましょうよ。

落合さん:
いや、本当にね、この木内さんがされている番組もそうなんだけれども、
どこからも自由であるって、案外難しいことじゃない。
雑誌なんか読んでたって、結局、雑誌は広告収入で成り立っているわけだから。
たくさん広告を出稿している所のクライアントについて批判的なものは書けないですよね。

木内:
出来ないですよ。うん。

落合さん:
でも、メディアの一つの大きな役割は、ある大きな力に対して批判的な目を持つことであるとすると、
なんかそこが、今とても難しい時代なんだなあっていう気はしますねえ。

木内:
そうですねえ。

落合さん:
ほんとに私達はメディア持てるといいのよねえ。
昔、私、夢見たのは、海だと、ある所を出てしまうとほんと自由じゃない。ちょっとも無いじゃないですか。

木内:
はい。

落合さん:
結局、放送っていうのは認可制だから、最終的には力ある所が力持つわけですよ。当然ながらね。
そうすると、船の上から放送しちゃえば海賊放送です。
それはそれで出来ちゃうなあとか。
そういった事って夢見つつ、でも、この自由なラジオはそれが出来ているっていうのは大事にしたいと思うんだよねえ。

木内:
嬉しいです。はい。
ありがとうございます。

落合さん:
いいえ。

木内:
また、じゃあ出て下さい。ありがとうございました。

落合さん:
はーい。失礼します。