鵜飼一嘉:
今日は私、鵜飼一嘉が元京都大学原子炉実験所の小出裕章さんにお話を伺います。
小出さん、初めまして。

小出裕章さん:
はい、初めまして。
と言うか、先日はクリスチャン・ツィメルマンさんのメッセージを鵜飼さんが朗読して下さいまして、その時にお世話になりました。ありがとうございました。

鵜飼:
とんでもございません。こちらこそありがとうございます。
と言うことで、実は先日、この番組の今西さん回で小出さんからご紹介頂きましたポーランドのピアニスト クリスチャン・ツィメルマンさんのメッセージを私が朗読させて頂きました。
そんなご縁で、この市民のための自由なラジオLightUpに私も参加させて頂くことになりました。
これからも宜しくお願いを致します。

小出さん:
はい、こちらこそ宜しくお願いします。

鵜飼:
ところで、私にとっては初めてのインタビューということになりますので、今日は、小出さんご自身について常々お伺いしたかたことをお訪ねしたいと思うんですけれども。
実は私、初めて小出さんを拝見させて頂いたのが、昨年、80歳で亡くなられました愛川欽也さんのバックインニュースで初めて拝見したんですが、その時から正しい情報を隠さず、きちんとお話して下さってるのが凄いと思ってたんですよねえ。

小出さん:
いやいや、むしろ私よりは愛川さんが私のような発言までもちゃんと拾って下さって大変だったと思いますけれども、電波に乗っけてくださったということで、私はありがたいと思いました。
残念ながらお亡くなりになってしまいましたけれども、貴重な方でした。

鵜飼:
そうですねえ。本当に残念ですねえ。

小出さん:
はい。

鵜飼:
そこで改めてお伺いしたいんですけれども、小出さんは、日本の原子力政策について強く反対をされていらっしゃいますし、京都大学の原子炉実験所にお勤めの時からも、はっきりとご自身のご意見を発信なさってらっしゃいましたけれども。
しかし、原子炉実験所にお入りになったわけですから、お若い頃には原子力に対して何らかの期待とか夢とかをお持ちだったんじゃないですか?

小出さん:
はい。原子炉実験所に私が入所したのは1974年で、東北大学の大学院を修了した時に京都大学原子炉実験所に拾ってもらいました。
私が原子力に夢をかけたのはもっとずーっと前で、高校を卒業する時、1968年なのですけれども、その時に、私は人生を原子力にかけようと深く思い込んでしまいまして、大学に進学する時に、必ず工学部の原子核工学科という所に行くんだということを決意して、その大学に行きました。

鵜飼:
原子力に対する大きな思い期待っていうのはどういった所だったんでしょうか?

小出さん:
はい、私は東京生まれの東京育ちだったのですが、私が中学・高校の頃に、東京の街のあっちこちで広島・長崎の原爆展というのが開かれていました。
私はそれをよく見に行ったのですが、原爆というのはあまりにも酷いものだということを一方で思いました。
その一方では、原子力の持ってる力というのは猛烈なものだというように思い込んでしまいまして、日本というこの国は原爆で被害をもたらされた国なのだから、それをそのままで終わらせるのではなくて、むしろ原子力の平和利用ということで世界に貢献することが良い事なのだと思い込んでしまいまして、私は原子力の平和利用、つまり原子力発電に自分の一生をささげたいと思ってしまいました。

鵜飼:
はい。
その当時と言いますと昭和43年ぐらいですから、東京オリンピックも終わって、まさにこれから高度成長時代っていう時ですから、若き日の小出さんはもう夢と期待を持って、原子力に日本の未来を託したということでお始めになったと思うんですが、その小出さんがいつ頃から「おや、これは違うな」と思い出したんでしょうか?

小出さん:
はい。まず、68年の4月に私は東北大学工学部原子核工学科という所に入ったわけですが、ちょうどその頃に、東北電力が原子力発電所を建設するという計画を出してきました。
私自身はやりたかったわけですから、当初、その原子力発電所の建設ということを歓迎しました。
しかし、ちょうどその時に大学という場では、いわゆる大学闘争と呼ばれていたようなものが起きまして、授業もなかなかできないというようなそんな時代だったのです。
それで、私自身は大学闘争何やってるのか全く分からないままだったのですが、ある時に気がつきました。
大学闘争というのは、自分がやっている学問が社会的にどういう意味を持ってるのかを答えるべきだという、そういう問いかけだったという風に、私は受け止めました。
そして、では私がやろうとしている原子力発電というのは社会的にどういう意味があるのかということが、私にとって問題になったわけですが、
東北電力のその原子力発電所をどこに建てるのかと言うと、私は仙台という大きな都会にいて、電力をたくさん使う街だったわけですから。
その原子力発電所というのは、女川という三陸海岸の小っちゃな町に原子力発電所を建てるという計画だったのです。
そして、女川の人達が「なんで自分達の町だ」と「電気を使うのは仙台だし、なんで仙台に建てないんだ」という疑問の声を挙げたのです。
私は「原子力いいものだ」と思っていたし、「安全だ」とも思っていたわけですけれども、「それなら何で仙台に建てないのかな?」と私も思いました。
その為、「どうしてか?」というその問いに答えようとして、私は答えを探し求めたのですけれども、東北大学工学部原子核工学科という所は、もちろん原子力を進めるための専門家を養成する所であって、その問いに対する答えを私に与えてくれなかったのです。
仕方がなくて、私は米国などの情報を仕入れて勉強を始めたわけですが、その結果、辿り着いた結論というのは実に単純でして、
原子力発電というのは、都会では引き受けることができない危険を抱えている──だから、別の所に押し付けて、長い送電線を敷いて、都会に電気を送るという、そういうシステムだということに気がつきました。
そして、それに気がついてしまったら、私にとっては到底そんなものは認めることができないと思うようになりまして、
1970年の秋に、私の選択を180度引っくり返しまして、原子力発電だけは何としても止めさせなければいけないと思うようになりました。

鵜飼:
その当時、そういうご意見を持たれてる方というのは少なかったんじゃないですか?

小出さん:
もちろんです。ほとんどいませんでした。
大学の中でも、いわゆる教員はみんな原子力を進めるという、その為に雇われていた教員達ですので、ほとんど全員が原子力推進だったわけですし、
社会的に言えばマスコミも含めてみんなが原子力の旗を振っていたという、そんな時代でした。

鵜飼:
まさしく小出さんが以前からおっしゃてますけども、いわゆる原子力村には政府・政治家はもちろんですが、学者や大企業、ゼネコンとか、
そして残念ながら私も属しています、このマスコミ・メディアも含まれると、よくおっしゃってますよねえ。

小出さん:
はい。もう大変、罪深いと思います。
もちろん政府・電力会社・三菱・日立・東芝というような原子力産業、もちろん罪深いですけれども。
でも、メディアの責任っていうのはそれに負けず劣らず重たいと私は思ってきましたし、今でもそう思っています。

鵜飼:
なぜ、そういう事態になったと小出さん思われますか?

小出さん:
私は原子力の問題を考えると、戦争とよく似てるんだなと思っています。
先の戦争の時にも、国が戦争をやると決めて、全ての組織がその下に集まってきました。
マスコミもそうですし、大本営発表というものしか流さないというような体制になってしまっていたわけです。
原子力についてもそうで、マスコミは必ず原子力の平和利用、安全なんだというそういう宣伝しか流さないという、
そんな体制になってしまっていたように見えますし、たぶん今でもそうなのだと思います。

鵜飼:
私自身もフリーの喋り手をしてるわけですけども、メディアで仕事をするということを考えてね、
「やはり、もっとしっかりしたものをお伝えしなきゃいけないな」ってつくづく思うんですけども。
最後に一つお伺いしたいのは、私、以前からずーっと小出さんにお聞きしたかったのが、いわゆる科学者の皆さん、その1960年代、1970年代、原子力発電に携わった科学者の皆さんが、この原子力発電をやった後に簡単に言えば、核のゴミですよね。
廃棄物、これが処理ができないっていうことが分かりながらもやってしまうのか?
あるいは、科学者の皆さんってどうしても自分で考えたものは、先のことを考えずにやってしまうっていう性質があるのか?
全員の方を十把一絡げで言うわけではないんですが、そういう事どっかにおありなんでしょうか?

小出さん:
2つの問題があると思いますが、科学に携わっていた人達の中には、「科学が進歩すれば、いつか何とかなるはずだ」と思っていた人達が一方にはいたと思います。
そして一方には、「これは多分だめかもしれない」とは思った人達もいたのですけれども、その人達もいわゆる自分の出世、自分の名誉というか、そういう事を考えると
「原子力に抵抗するよりはこのまま黙って、いわゆる専門家として生きた方が得だ」と思った人達もまた一方にいたと思います。

鵜飼:
となると、その人間としての倫理と、そうして科学者としての倫理、それが人間の情念の部分で負けてしまったということなんですかね?

小出さん:
何か皆さん科学者と言うと、結構、その倫理的にも正しい観念を持っている人間だという風に思ってられるかもしれませんが、実はそんなことは全くありません。
私もいわゆるその科学の世界で生きてきた人間ですけれども、私が生きてきた時代、多分今もそうだと思いますが、科学者になるというような人達は、いわゆる良い大学に行って、良い会社に行って、出世しろよというそういうコースに乗せられてきてしまった人達がほとんどですので、倫理とかそんな事よりは自分の出世ということの方が大切なことになってしまっている人達、そういう人達だと思って頂くのがいいと思います。

鵜飼:
なるほど。改めて考えさせられるなあと思いますけども。小出さん、今日はどうもありがとうございました。
これから度々お話する機会もあると思いますけれどもね、これからもどうぞ宜しくお願い致します。

小出さん:
ありがとうございました。はい、是非、宜しくお願いします。